弱いから思う

人を殺傷し、心を裂くから、戦争は嫌いだ。

現実的に突然に人々が暮らしを奪われる。
肉体的苦痛があり、精神的苦痛がある。
子どもはどうしている?
押し寄せる悲しみ憤り混乱の中で
生き延びた人は決断をくだしていかなければならない。

暴力が見慣れたものになるから、戦争は嫌いだ。

当事者はいっとき暴力が肯定される。
普段暴力とは無縁の人も、肯定せざるを得なくなる。

ニュースは茶の間に惨状を届ける。
一部でも本当のことが分かるのは大事だ。
ただ、今日も攻撃が止まなかった。
既に数千人が死亡した。子どもも死んだ。
殺人報道が連日続く。
鈍感になりたくないと思いつつ、気持ちの落ち着けどころを探す。

思考を止め、攻撃性を露わにするから、戦争は嫌いだ。

二元論的な言葉があちこちに顔を出す。
敵か味方か、賛成か反対か、愛国者か非国民か。
強いか弱いか。勝つか負けるか。
あの国籍かこの国籍か。
ストレスが攻撃を容易にし、分裂を生む。
単純さには慎重になれ。

理不尽な暴力に屈しないよう
防衛のための暴力を行使する状況が続く。
ルールはない。ルールがなければ
いつ、どう決着がつくのか分からない。

犠牲が増えていく
この形しかないのか
この形がかの国とそこに住む人たちを守る一択なのか

国際法に明確に「違反」する行為に対して
勝負の概念を持ち込むことの危険はないのか
民主主義と専制主義の戦いと定義することの危険はないのか

自分のために破壊をためらわない人間がいなくならない
権力のために暴力をためらわない人間がいなくならない

潜在的に暴力性を持ち大量に人を殺してきた人間という生き物は、これからも同じことを繰り返していくのか。

抑止力として武器があっても、抑止を振り切ってしまえば、その武器により人は殺される。創り上げてきたものが破壊される。

最終的に、人の理性と良心と意志にしか頼れない。

個人であれ国であれ、自分にとっての利益の追及、欲望の追及を少し我慢して、なんとか皆が生きていけるよう工夫するっていうのが、知性なんじゃないのか。特に力のある人は。そうじゃなければ悲惨な人間の歴史ってなんなんだろう。