読んで考える

根本美作子:近さと遠さと新型コロナウイルス
藤原辰史:パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ

コロナウイルスが浮き彫りにする数々の問題に対する切迫感、切実感がほとばしる。言葉が動脈血のようだ。

藤原氏は「今の社会の仕組みの脆弱さ」に真正面から切り込んでいく。歴史を視野に入れての具体的提言が重く新鮮だ。短めの論考は4月26日朝日新聞に、今日4月30日には秋田魁新報に掲載された。本日掲載分は、コロナが長期化した場合の生活困難化対策と、食料対策が主眼に置かれていた。「経済競争」から「共有と配分を軸にすえた経済」の考え方に共感を覚える。農業史を含む人文分野からの布告は、幅広い層に響くのではないか。

秋田県立大の谷口吉光氏が思い出される。「持続可能な社会の中心は農山漁村になる」との信念を持ち、地域に身に置き研究を続けられている。行き過ぎた経済優先のグローバル化に警鐘を鳴らし続けてもいる。氏の専門は環境社会学、農業食料社会学であるが、学部時代にはフランス文学を学んだ方だ。

もう一人、この時期に浮かんだ人が小説家の海堂尊氏だ。最近は架空の新型インフルエンザ発生をめぐる巨大なフィクション「ナニワ・モンスター」と短編集「ランクA病院の愉悦」を読んだ。国組織の底知れなさと、医療サービスに慣れた市民の無節操による医療の危機を、諧謔をもって描く。氏は医師であった人だが、専門外の知識量も並大抵ではないだろう。奔放な筆運びだが、正義感や善良性を馬鹿にしない。

利己性と差別意識は人は持っているものだと思うが、身の危険を感じるとそれが炙り出されやすくなる。

大昔からずっと、どの時代のどの国の人も、力の奪い合いと配分に苦闘してきたのだろう。歴史を振り返れば恐ろしい。希望を見るなら、人間は利己的で差別的であると同時に、利他的で調和的でもあることか。文化や技術を生み出し、「考え方」という如何様にも変えられるものを駆使して、どうにかこうにか今まで続いてきていることか。人文分野の研究は人間の不可解さや生きることそのものに必ず関わる。その研究成果は、テクノロジーの開発のように明確ではないのかもしれないが、あらゆるテクノロジーが善く使われるためにも、その意義は深い。