So excited, so moved, so touched. 感動した!について

球児たちの活躍にくぎ付けで、試合に限らずニュースや特番も追った夏だったからこそ!

「感動を与える・与えられる」という言い方について、もやもやしています。

与える、には「意図的に授ける、施す」という上下関係が含まれる感覚があります。

対して感動、は「自然と湧き上がる心の動き」だと思います。

意図的に感動を狙い、意図的に感動を求める、という場合もあるでしょうけど、基本的にはそぐわないのではないかと。

「その試合は感動を生んだ」
「感動をもたらした試合だった」
「感動を届けてくれてありがとう!」
「大きな感動をもらいました」
「感動しました!」

とか、感動という言葉を使わないとか、いろいろ表現はあるんじゃないかと思います。

でも、素晴らしいパフォーマンス、つまり人に対して、敬意や讃えたい気持ちを示したいから「感動を与えられた」という受動的でへりくだった文が自然と出るのかもしれないとも思います。だから一般の人がマイクを向けられてそう言うのは分かる気もするんです。

ただ、大きな影響力のある機関が「与える」を自ら使うのは違うんじゃないかなあ。「らぬき言葉」より、「意味の変化」に関わる分、気を付けてほしいと思ってしまいます。

この夏私が心に残ったひとことは、孫の活躍を目の当たりにしたおじいさんの
「じいちゃん酸欠する」でした。

英語で代表的な表現を二つ。

I was deeply moved (by their songs). (彼らの歌に)深く感動した。

I was so touched with the game. (その試合に)とても感動した。心に沁みた。

moved, touched は形容詞ですが、動詞 move(動く), touch(触れる)が元にありますよね。心が何かによって動かされた、と、そのまんま表しているんですね。