献血しました~Donating blood

海の日に、6年ぶりに献血に行ってきた。
初めて「成分献血」というものをした。

自分の血がその場で分離されて、血漿(けっしょう)が抽出され、視覚的には白黄色の液体になり、パック詰めされていくのを見て驚愕する。同時進行で、パック詰め以外の血は自分の体に戻ってくる。時折血管に「ググッ」という感覚。医療技術は想像を超えるものばっかりだろうが、あまり病院に行かない私は、献血だけで最先端を感じる(手術室や研究室は私にとってはSF空間に違いない)。

ちょっとしたハテナとして、ある成分が除かれた血が戻ってくるというのは、大鍋で作った味噌汁から、お玉一杯分とって水と差し替えても影響ない、という感じ海水を1トンくみ上げて水道水1トンと入れ替えても海水成分に特に影響はないという感じなんだろうか(いや多分そんな大雑把な話ではないと思うけれど)。いずれ、「成分献血」は、400mlの血液全部を採ってもらう「全血献血」よりは体に負担が少ないとのこと。1時間弱かかるので、時間のある人向き。全血献血にかかる時間は、半分程度。

私は献血すると、1時間後ぐらいにものすごくお腹がすき、割と心地よくぐったりする。一番近いのは水泳の後か。その日は消化の良いものを食べて、よく眠った。翌日からは普通通り。体調の個人差は大きいだろう。ただ当日に関しては、いくらお酒に強い人でも、本当に控えめにする方がいいと思う。

ちなみに、日本では現在、血を売買することは禁じられているが、その理由と経過を知った。以降インターネット調べ。
1930年~
当時の首相が輸血で一命をとりとめたことが広く報道され、輸血療法が一般的に受け入れられ始める。この時期、血は売買されていた。輸血を受けることで罹患する場合もあり、現実的な「血の安全性」の問題、また倫理観が社会問題となる。

1956年6月25日 
「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」公布(売血は禁止していない。)

1964年8月21日
「輸血用血液を献血により確保する体制を確立」することを日本政府が閣議決定、日本の献血制度が整うことになり、以降急激に売血は減る

1974年
輸血用血液が完全に献血由来のものに切り替わる

1990年9月
薬品製造のため製薬会社の有償での採漿が終了(薬品製造のためには血は有償であった)。日本国内における売血が終了。

8月21日が『献血の日』とされているのは、献血制度が整うことになったからなんですね。

なお、受付の方々は温和で親切、ナースの方々はプロの動き!針を刺したり絆創膏を巻いたり機器を管理したり、流麗な動きを見つめてしまいました。レトルトカレー3袋とチョコレートをいただいて帰りました。

この日の蓮。