11月も後半戦に入りました。
2020年はコロナの年と刻まれるんでしょう。
どんなに大きな問題であっても、関係なく生きられる人は生きられるし、個人的に大変な思いをしている人はいつでもいるということは忘れたくないのですが、コロナについては多くの人が何らかの真剣さをもって考えているのではと思います。同時に、社会的な問題の共有は、影響を受ける絶対数が少ないとなかなか進まず、しかし絶対的数が多く問題として共有されてもなお、それぞれの状況や受け止め方の差が大きいゆえに解決が難しいことを思います。
今朝はI’m feeling a little down, なかなか体に血が巡った気がせず、それなのに、そのためか、20余年も前の失態を思い出して、路上で頭をブンブン振ったりしてみたり(多分ブンブンは気持ちだけで、微かに頭が揺れてるくらいだっただろうけど)。
あーあー言いながら教室に到着したら、思いがけなく沖縄すずめうり(琉球おもちゃうり)をいただきました。可愛くユーモラスな形です。直径2㎝ほどの小さな瓜が、ころころ、揺れて青く香り、一気に過去から今に戻りました。
「私が力がなくて無力なとき(いつもそうなのだろうけれど)、
人の心のあたたかさに本当に涙ぐみたくなる。
この全く勇ましくも雄々しくもない私のもって生まれた仕事は絵を描くことなのだ。
たくましい、人をふるいたたせるような油絵ではなくて、
ささやかな絵本の絵描きなのである。
そのやさしい絵本を見たこどもが、
大きくなってもわすれずに心のどこかにとどめておいてくれて、
何か人生のかなしいときや、絶望的になったときに、
その絵本のやさしい世界をちょっとでも思い出して心をなごませてくれたらと思う。
それが私のいろんな方々へのお礼であり、生きがいだと思っている。」
いわさきちひろ 1973年(最晩年の手帳より)
やさしい世界につながる記憶を、芋づる式とは言わずとも、確実に思い出したいのです。
この教室で出会うたくさんのあたたかさを、覚えていて、思い出したい。
ご利用くださる皆さま、いつも、本当に、ありがとうございます。