12時15分から13時まではNHKの英語ラジオ番組を聞くのが、緩い習慣の一つです。
リラックスして聞いていますが、ネイティブではない私は「学習」として捉えてしまい、どこか神経は休まりません。
逆の現象に先日気づきました。全く分からない言語の講座が、眠りを誘い、あるいは無心にさせてくれることに。
英語ニュースの後13時からは中国語ニュースが流れるのですが、ラジオを消すのを忘れると、5分ほど夢の中を漂うことがあります。
音楽は聴きたくないけれど無音も嫌、という時、偶然流れていた某外国語講座をBGMに家事が捗ったということもあります。音楽は聴いてしまうし、何かを思い出したり考えたり気持ちが動かされたりするので、別のことをしながらだとどちらにも集中しているようで疲労するのです。
気持ちの動きに関係しない音が、寛ぎにつながるということでしょうか。
そういえば、勉強や仕事など一人では集中できない時に、喫茶店だとできるタイプです。図書館や学習室のような、しーんとしている場所ではなく、関わりのない目的も違う誰かがいて、かつ小さい音のざわめきがある方を好むのも、関係があるんだろうか。私にとっては緊張と安心のバランスが絶妙で、集中できるんでしょうか。
さて。中国語は分かりたい言葉の一つですが、13時から数分のまどろみのためには勉強できないか(言い訳)。