コロナで分かった良いこと

コロナウイルスのニュースの刺激、センセーショナルさが落ち着いてきたように思う。
発信側も、受信側も、どちらもだ。

コロナのニュースを聞いてもむやみやたらに怖がったり、斜に構えたりしないくらいには、「コロナという存在」に慣れてきたのではないかと思う。

「いつものその人の警戒心レベル・排他性・共感性・楽観さ等々」をCOVID-19という病気に対して適用し始めているのかもしれない。

病気とはベクトルの違う現実的なこと、「個人の生活の維持」と「あらゆる集団におけるこれからの仕組みや取り組み」に、人の気持ちが本格的に向き始めているように感じる。

それは規制の緩和と同時に、医療的には対岸の火事で済んでいる人が多いからだとも思う。医療関係者はまだまだ緊張を解けないことだろう。一般の人も、自分や近くの誰かが感染したら、気持ちはまた揺れ動いてしまうだろう。

ワクチンが開発され、治療薬も準備され、今の季節性インフルエンザくらいまでに人の受け入れ態勢と、「受け入れ感覚」ができたらいい。(付記:ワクチン開発、新薬開発の難儀さの一端を後日知りました)

ただ、今回よく分かったのは、知見に基づき誠実に良心的に考え動く人が、各分野に数多くいることだった。仕事でなくても、専門性がなくても、できることを考え動く人もまた数多いことだった。

梅雨とはいえ、風爽やかで、動植物が躍動するこの時期。