一部と全体 イメージと本当

あっという間に五月です。

一日違うだけなのに、「四月」とは全く違う印象を受けます。
浮かぶのは柔らかく若々しい緑、気持ちの良い風、まだ涼しさを残す朝。

2018年の皐月初日、西日本は「暑さ対策をしてください」とTVが言うほどの暑さ。
対して秋田は晴れのち曇り、寒くはないけれど室内でマフラーを巻いています。

二週連続、土日は気温がぐんと上がり、桜が満開になり、散りました。
道端にはチューリップと水仙が愛らしく並んでいます。それでも今日は逆戻りです。

日々の気温の変化の大きさに、自分の中で持っているイメージと、現実の違いを感じます。

ある言葉に対して持っているイメージと、簡単に括れない現実、はそこかしこにありますよね。

重要でもなく大勢に影響もない時は、イメージで括るのもありでしょう。

ただ、イメージだけで分かったようなことを言うことには気を付けたいと思います。
「日本人は~」「秋田の人は~」「あの人は~」
「地方は~」「男/女は~」「中学生は~」
「日本の英語教育は~」「親は~」

個人的に心がけることとしては、
よく知らないことについてはもちろん、
知っていることでも「自分目線であること」を意識していることと、
「〇〇という全体の一部だから私はこうなんだ」と、
安易に全体を「私がそうである理由」にしないこと。

かな。